アニメや絵本に出てくるチーズには、たいてい丸い穴がたくさん開いています。あの穴は、職人が道具で開けたものではありません。チーズが熟成していくあいだに、中にいる菌がガスを出し、その泡が閉じ込められた跡です。ここでは、穴をあけた菌と、その菌が一緒につくっているものの話をします。
穴は、熟成中にたまったガスの跡です
穴のあいたチーズとしてよく知られているのは、スイスのエメンタールです。切り口を見ると、さくらんぼほどの丸い穴が点々と並んでいます。チーズの世界では、この穴を「目」と呼ぶことがあります。
チーズは、牛乳を固めて水分を抜き、何週間から何か月もかけて熟成させます。その熟成のあいだに、中で菌がガスを出します。チーズの生地はある程度やわらかく、外に逃げにくいので、ガスはその場にたまって泡になります。その泡が、固まったあとに丸い穴として残るというわけです。
穴の大きさや数は、熟成の温度や期間、生地の固さによって変わります。きれいに丸い穴をそろえることは、職人の腕の見せどころの一つとされてきました。
穴のあいたチーズは、物語や絵の中ではチーズの代表のように描かれます。けれども、実際にあれほど大きな穴をそろえてあけるには、時間と手間がかかります。穴は飾りではなく、熟成がうまく進んだことを示すしるしの一つでもあります。
ガスを出したのはプロピオン酸菌です
エメンタールの穴をあける菌として知られているのは、プロピオン酸菌です。名前のとおり、プロピオン酸という物質をつくる菌です。
チーズづくりでは、まず乳酸菌が働いて、牛乳の糖から乳酸をつくります。プロピオン酸菌は、その乳酸を受け取って、プロピオン酸と酢酸、そして二酸化炭素に変えていきます。この二酸化炭素が、穴のもとになるガスです。
ここでも、一つの菌だけで話が完結しているわけではありません。乳酸菌がつくった乳酸を、別の菌が受け取って次のものをつくる。ぬか床で菌が入れ替わっていくのと同じように、チーズの中でも菌のあいだで受け渡しが起きています。
プロピオン酸菌は、乳酸菌に比べるとゆっくり増える菌です。そのため、穴のあくチーズは、ある程度暖かい部屋で一定の期間寝かせる工程を経て、プロピオン酸菌が働く時間を確保してつくられます。穴があくまでには、菌が働くための待ち時間が必要だということです。
同じ菌が、風味のもとも一緒につくります
プロピオン酸菌がつくるのは、穴だけではありません。エメンタールには、ほのかな甘みと、木の実のような香りがあると言われます。この風味には、プロピオン酸菌がつくるプロピオン酸や、ほかの成分が関わっていると考えられています。
つまり、穴と風味は、同じ菌の同じ働きから生まれているということです。穴だけをあとから機械で開けても、あの味にはなりません。見た目の特徴と味の特徴が、一つの菌の仕事でつながっているのは、発酵食品ならではのおもしろさです。
菌が食べ物の中でつくり出したものを、人が味として受け取っている。チーズは、そのことがとてもよく見える食べ物です。こうした、菌がつくり出したものそのものに目を向ける考え方を、私たちはバイオジェニックスと呼んでいます。
チーズの風味は、ほかにも多くの菌やカビ、牛乳そのものの成分が重なってできあがります。プロピオン酸菌は、その中の一つの役者です。それでも、穴と味の両方に関わっているという点で、この菌の存在感は大きいと言えます。
穴のないチーズもあります
ここで例外の話をしておきます。チーズには穴があるもの、と思われがちですが、実際には穴のないチーズのほうがずっと多くあります。チェダーやパルミジャーノのように、生地がぎっしり詰まったものも少なくありません。
穴があくかどうかは、どの菌を使うか、どんな温度で熟成させるかで決まります。プロピオン酸菌がよく働く条件をつくれば穴があき、そうでなければ詰まった生地になります。ゴーダのように小さな穴が少しだけあくチーズもあり、こちらは別の菌が出すガスによると考えられています。
また、牛乳が清潔になりすぎると、穴ができにくくなるという報告がスイスの研究機関から出されたことがあります。牛乳に混ざるごく小さな干し草のかけらが、泡ができるきっかけになっていたのではないか、という見方です。穴一つにも、菌と材料と環境の組み合わせが表れているということです。
穴が多すぎたり、割れ目になってしまったりするのも、チーズづくりでは失敗とされることがあります。ガスが出すぎたり、生地が固すぎたりすると、丸い穴にならずに裂け目ができます。穴一つの形にも、菌の働きと生地の状態のつり合いが表れているのです。
腸の中でも、プロピオン酸はつくられています
プロピオン酸という名前は、チーズだけで出てくるものではありません。私たちの大腸の中でも、腸内細菌が食物繊維などを材料にして、プロピオン酸をつくっています。
酢酸、プロピオン酸、酪酸は、まとめて短鎖脂肪酸と呼ばれます。どれも菌が発酵によってつくり出すもので、チーズの中で起きていることと、おなかの中で起きていることは、ある意味で地続きです。
次にチーズを切り分けるときは、穴の一つひとつを、菌が働いた跡として見てみてください。菌が何をつくったかは、ときどき形になって目に見えます。チーズの穴は、その小さな証拠です。
ただし、チーズを食べることが、腸の中でプロピオン酸を増やすことに直結するわけではありません。チーズの中のプロピオン酸菌と、腸の中でプロピオン酸をつくる菌は、別の場所で、別の材料を使って働いています。同じ名前の物質が、別々の場所で、別々の菌によってつくられていると理解しておくのが正確です。