朝の味噌汁、食卓の納豆、ワインに添えるチーズ。私たちはずっと前から、発酵食品とともに暮らしてきました。理屈を知るより先に、まず「おいしい」と感じ、「体にいい」と信じて。発酵は、人がいちばん古くから携えてきた、健康の知恵なのかもしれません。
発酵とは、菌が時間をかけて作り変えること
大豆が味噌に。乳がチーズに。米が酒に。できあがったものは、もとの素材の姿をほとんどとどめていません。そこで静かに働いているのは、目に見えない菌たちです。菌は素材を栄養にしながら、ゆっくりと、まったく別の何かへと作り変えていきます。
つまり発酵は、ただの保存技術ではありません。それは、新しいものを生み出す営みです。元の素材にはなかった香り、深い旨味、そして数えきれないほどの成分が、その過程で生まれてきます。私たちが発酵食品に惹かれるのは、きっとこの「生まれた豊かさ」を、舌が感じ取っているからでしょう。
「菌そのもの」と「菌が生み出したもの」
発酵を語るとき、つい菌の種類に目がいきます。乳酸菌、ビフィズス菌、酵母、麹菌、納豆菌。たしかに、菌は発酵の主役です。けれど、もうひとつ忘れてはいけない主役がいます。それは、菌が発酵の過程で生み出した成分そのものです。
味噌のあの複雑な風味も、チーズの濃いコクも、菌が時間をかけて残していった成分の集まりです。言いかえれば、私たちは菌そのものを食べているというより、菌が作り出したものを味わっています。発酵食品の本当の値打ちは、菌だけを見ていても、見えてこないのかもしれません。
菌そのものより、菌が生み出したもの。発酵の豊かさは、そこに宿ります。
おいしいだけではない、健康の伝統
発酵食品が世界中で受け継がれてきたのは、おいしいからだけではありません。人々は経験のなかで、それを「体にいいもの」と感じ取り、暮らしに組み込んできました。科学がその理由を解き明かすよりも、ずっと前のことです。
日本には、味噌・醤油・納豆・漬物という優れた発酵の技があります。世界に目を向ければ、チーズやヨーグルトをはじめ、さまざまな発酵の文化が根づいています。どれも、おいしさと健やかさを両手に抱えて、何世代も手渡されてきました。発酵は、人類がもっとも長く信じ続けてきた、暮らしのなかの健康の伝統なのです。
バイタレジーナと、発酵という眼差し
バイタレジーナもまた、この発酵の延長線上にある製品です。私たちは、菌そのものだけでなく、菌が発酵のなかで生み出したものに、ずっと目を向けてきました。枯草菌のような菌の力に加えて、発酵が残してくれた成分の世界を、暮らしのなかに届けたいと考えています。こうした「菌が作り出した成分」に着目する発想は、バイオジェニックスという考え方ともつながっています。
だからこそ、難しい理屈を声高に語る前に、まず「発酵から生まれた、いいもの」だと感じてもらえること。それを何より大切にしています。味噌やチーズを前にしたときと同じように、肩の力を抜いて受け取ってもらえたら、と思うのです。
悩みが深いときこそ、まず
体の不調が続くと、つい「何に効くのか」「成分は何なのか」と、答えを急ぎたくなります。その気持ちは、とてもよく分かります。深い悩みを抱えているときほど、悠長な話を聞いている余裕はないかもしれません。
でも、と私たちは思うのです。難しい理屈の前に、まず「これは体にいいものだ」と素直に感じられること。その実感があってはじめて、人は何かを続けられます。そして、続けるからこそ、意味が生まれます。発酵が何百年も受け継がれてきたのは、人がそれを「いいもの」と感じ続けてきたからにほかなりません。悩みが深いときほど、まず、体が素直にいいと感じるものから。発酵という古い知恵は、きっと今日も、私たちの味方です。